礎(いしじ)
マッピングプロジェクトとは
沖縄戦で亡くなった24万人以上の人の名前が刻銘されている「平和の礎」。
あまり知られていませんが、ここに刻銘されている戦死者のうち沖縄県出身者(約15万人)については、その人の名前だけではなく生年月日・戦死日時・戦死場所など様々な情報も登録されています。
本プロジェクトは、平和の礎に刻銘されているそうした戦死者の情報を可視化し、平和教育で沖縄戦について学ぶための教材を提供することを目的としています。
マッピングから見えるもの
●「マップから見えるもの-宜野湾市嘉数を例に」説明
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例として、宜野湾市嘉数出身の戦死者が時期によってどう移り変わっていくかを見ていきましょう。
まず「基本情報」のレイヤーををチェックすると、宜野湾市嘉数の範囲や、沖縄戦における米軍の進撃ライン(日米両軍の交戦ライン)が表示されます。
「1945年3月まで」のレイヤーをチェックすると、沖縄から遠く離れたアジア・太平洋各地で亡くなっている人が多いことがわかります。この時期にはオレンジ色のマーカーで表示された大人の男性が多いです。ただ、サイパンでは黄色のマーカーで表示された老人・子ども・女性が1944年6-7月に多いこともわかります。ここからわかるのは、嘉数出身の人がこの時期にアジア太平洋各地に「移動」した上で、その地で亡くなっているということです。それぞれの時期に、それらの場所で何があったのか、そして嘉数の人たちがなぜその場所で亡くなっているのか。それを調べることで、沖縄の人たちにとっての戦争は突然沖縄戦という形で始まったわけではないことがわかります。
次に、1945年4-6月の状況を見ていきましょう。まず、大人の男性の戦死場所を1945年4月から6月に順番に見ていくと、おおむね4月は宜野湾周辺、5月は浦添~南部、6月は糸満と戦死場所が変わっていくことがわかります。これは概ね「米軍進撃ライン」と同じ動きをしていますね。一方で、1945年4-6月の老人・子ども・女性の戦死場所を順番に見てみてください。この人たちは大人の男性とは異なり、軍隊の一員として行動せず民間人として戦場を逃げていた可能性が高い人たちです。その人たちの戦死者数(マーカーの数)は大人の男性の戦死者よりも多いことがわかります。また、米軍進撃ラインから離れた場所で亡くなっている人が多いこともわかります。なぜそうやって日米が交戦している激戦地から離れた場所で民間人が亡くなってしまうのでしょうか。それは、沖縄戦を学ぶ上では非常に重要な点なので、ぜひ証言等を読んで調べてみてください。
最後に、1945年7月以降に亡くなった人の戦死場所を見てみましょう。司令官が「自決」した6月23日(22日説もあり)や、日本軍の降伏調印の9月7日以降にも、各地で多くの人が亡くなっていることがわかります。しかも、戦死場所は6月までとは大きく異なり、中北部に広がりますし、大人の男性よりも子どもやお年寄りの戦死者が多くなります。なぜ兵隊ではない民間人が、この時期に中北部各地(宜野湾市野嵩・宜野座村松田・名護市久志)で亡くなるのか?これも、沖縄の人たちにとっての沖縄戦はいつ終わったのか?を考える上で非常に重要なテーマなので、ぜひ証言等で調べてみてください。
この文章で触れているのは、このマップから読み取れる事実の一部でしかありません。ぜひ自分で地図を操作して、たくさんの「なぜ?」を見つけてみてください。そして、その「なぜ?」の答えを明らかにするために、宜野湾市嘉数の人たちの沖縄戦体験証言を読んでみてください。
【嘉数の人たちの証言が掲載されている代表的な文献】
・琉球政府編『沖縄県史9 沖縄戦記録1』1971年、p281~288
・宜野湾市史編集委員会『宜野湾市史第3巻資料編2 市民の戦争体験記録』1982年
・石原昌家監修『大学生の沖縄戦記録』ひるぎ社、1985年、p12-83
授業での活用例
●授業での活用例
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ここでは、実際に2021-2023年の3年間に沖縄県内の小中学校で実践した事例をいくつか紹介します。こうした事例を参考に、このホームページで公開しているデータを活用して沖縄戦に関する探究活動をしてみてください。
①南城市の小学校での例
校区出身の戦死者に関する統計情報パネルを作成し、沖縄戦に関する一般的な写真パネル等と組み合わせて校内に展示する。作成したパネルは、校区出身の戦死者の年齢分布や月ごとの戦死場所を示した地図など。(戦死場所を地図に示す形だけでなく、戦死者の年齢分布のグラフを作成することも可能です。各ページで閲覧できるようにしているスプレッドシートのデータを活用してください)
②南風原町・南城市の小学校での例
校区出身の戦死者に関する一覧表をもとに、グループで分担して大きな白地図にシールを貼っていき、時期ごとの戦死場所の変化が見えるようにする(約30分)。その地図を教室の壁に貼って全体で共有、みんなで戦死場所の変化を見て「疑問に思ったこと/気になったこと」を話しあう(約30分)。その後、次の時間以降で調べ学習に繋げる(1-2時間)。あるいは、その疑問を明らかにするために地域出身の人の証言を読んでみる(1-2時間)。調べるテーマは「なぜ6月に南部で亡くなった人が多いのか?」など。
③糸満市の小学校/中学校での例
校区内の2つの地域出身の戦死者の戦死場所を示す地図を作成し、2つの地域で戦死場所が大きく異なる(出身地から移動せず亡くなった人が多い地域/そうでない地域がある)ことを確認する(約20分)。なぜそうした違いが出るのかを予想し、話し合う(約20分)。その違いを明らかにするために、各地域出身の人の戦争体験証言を読み、人が移動する/移動しない要因となったのは何だったのか?を調べる(約1時間)。
※沖縄県内の複数の市町村では、児童生徒に配布されているタブレット端末の設定のためgoogleマップが見れないことが確認されています。その場合、事前に管理者・教育委員会などに問い合わせをお願いします(設定の変更に1ヶ月程度かかることもあるようです)。
※戦死場所の地図からわかることは「地域出身の戦死者の戦死場所の空間的な広がり」のみなので、「なぜそうした空間的な変化があるのか?」は他の情報を組み合わせないとわかりません。
※そうした資料の特性から「地図を見てわかったことやわからないことを共有して調べる活動につなげる」ことや「これまで学んだことを使って、地図からわかる変化の理由を予想して説明してみる活動につなげる」ことを基本的な授業の流れとして想定しています。
※この平和の礎のデータはまだ十分に研究されているわけではありませんし、これから分析が進んでいくことが予想されます。それもあり、様々な活用のアイデアがあるはずなので、ぜひこのページを見た方が様々な活用方法を考えてみてください。
マッピングを見る
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本プロジェクトについてのお問い合わせ、別の地域のマップ作成等の要望はこちらから
- 戦死者の年齢/戦死場所/戦死年月日などのデータは全て平和の礎に登録されている戦死者情報を整理したものです。
- 戦死者情報は平和の礎刻銘者名簿をもとにしていますが、同名簿には不明・不確実な事項も含まれている場合があります。
- 刻銘者情報には性別は含まれていません。性別は戦死者の名前をもとに推測したものなので、不正確な場合があります。
- それぞれの刻銘者の戦死場所としてマークされている地点は、その人が無くなった大まかな場所を示すものであり、亡くなった特定の地点を意味するわけではありません。
- 本サイトは JSPS科研費JP23K02485の助成を受けて作成したものです(研究代表者:琉球大学准教授 北上田源)。